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Profile

安部米央

安部米央 / Yoneou Abe

Vo. & Rhythm Guitar
Birthday : 1950.1.7
Blood Type : "A"

His singing voice is like John Lennon.The chorus with Kimura is reminiscent of Beatles.

木村康治

木村康治 / Koji Kimura

Vo & Bass Guitar
Birthday : 1952.2.1
Blood Type : "O"

Action in his stage is a Paul McCartney.The chorus with Abe is reminiscent of Beatles.

手島武文

手島武文 / Takefumi Teshima

Chorus & Drums
Birthday : 1954.2.6
Blood Type : "A"

We don't know the drummer who plays it with the tune of RINGO-STARR like him.

林徳夫

林徳夫 / Tokuo Hayashi

Chorus & Lead Guitar
Birthday : 1960.3.21
Blood Type : "B"

He is also the youngest in The Flying Elephants as well as minimus George.A native character looks like well,too.

- The Flying Elephants History -

《1963年 〜BEATLESデビューの年〜》

安部米央13歳。
Please Please meが深夜放送のラジオから流れてきた時に、これまでにない衝撃を受けた。この1曲でBEATLESの虜になったのである。
毎月の小遣いでレコードを買い集めBEATLESに没頭の毎日だった。安部少年は聴くだけでは飽きたらず、自分も歌うためにギターを弾き始める。
どこへ行くにもギターを離さない、音楽少年の誕生である。

木村康治11歳。
芸能一家とも云える音楽の好きな家庭に生まれた彼は、子供の頃から歌の好きな少年。
兄の弾くギターで兄弟仲良くグループサウンズ等を歌っていた。

《1965年》

安部は高校に進学。友達を集め【バンビーズ】というバンドを結成。
ダンスホールなどで活動を始める。

《1967年》

木村も高校進学。入学直後「ポールに似ている」と級友に云われBEATLESを聴く。
はじめて聴いたBEATLESに触発されギターをベースに持ち替えた。

《1970年》

武貞(Gu)熊谷(Ba)安部でFlyingElephantsの原形になるバンドをやっていた頃、運命の出会いがある。
友人と英彦山へキャンプに来ていた安部。これまた友人とキャンプに来ていた木村。この時は顔を合わせる程度で終わったのだが、これが後々決定的な出会いの前哨戦になろうとは、この時お互い知る由もない。

《1972年》

熊谷さんが仕事の都合でバンドから離れていったが、安部と武貞はどうしてもバンドを続けていきたい…。
とにかく熊谷の後釜ベースを探すことになる。 そんなある日、武貞が安部のところへひとりの男を連れて来る。
この男こそ田川のポール。この時はまだ別のバンドでベースをやっていた木村康治である。
じゃ何か唄ってみる?と数曲、、、。 これで心はひとつになったのである。

《1973年 〜「THE FLYING ELEPHANTS」結成〜》

初めてお互いの歌を聞き感動したふたりはさっそくバンドを組むことを決定!
当時、動物の名前を使ったバンド名が多く、使われていなかった動物は「象」だけであったことから、重たい象に羽を付けて「飛ぶ象」と命名する

《1974年》

地元の音楽祭「第一回川崎ミュージック村」に出演。
この時ドラムの手島と出会う。

《1975年》

手島がドラマーとして正式に加入し、ようやくバンドとしての形が出来上がる。
中学〜高校と吹奏楽の出身である彼は、そのころからBEATLESを覚える。
この頃「THE FLYING ELEPHANTS」を憧れのバンドとして見ていたのが、まだ中学生の林徳夫である。
その後、木村の就職活動などで「THE FLYING ELEPHANTS」としての活動は一時中止するも、それぞれの音楽活動は続いていく。

《1977年》

木村が地元に帰ってきたことにより活動再開!
が、各々の仕事に追われ3〜4回のライブで、また休止状態となる。

《1980年》

安部と手島で【The Endless/ジ・エンドレス】というバンドを始める。
このバンドに林がベースで参加。
武貞は仕事の都合上、この頃からバンド活動をやめる事になる。

《1980〜1985年》

【The Endless】時代。
安部・手島・林、それにゲストプレイヤーという編成で、安部のソロやフュージョン等多彩なレパートリーでイベントやコンサートで活動を続ける。
※安部曰く「とても長い足踏みの時期だった…」

《1986年》

時も折、福岡市天神にLIVE HOUSE「キャバーンクラブ」がオープン。
「ビートルズを求む!」の新聞広告を見た安部がオーディションを受け合格する。
メンバーに声をかけバンドとしてもオーディションを受ける。見事合格!
ただし、ハウスバンドとしてではなく、日曜日だけのゲストバンドとして契約成立。
しかしながら仕事との両立はとてもハード。
19時半からのファーストステージに始まり最終ステージが終わるのが24時30分。帰宅するのは夜中の2時3時....。これが2年半続いたのである。

《1987年》

かねてより認めていた「Now my Love」を発表!
明治屋産業のCMに採用された事をきっかけに、オリジナルソングCD制作に取り組む。

《1989年》

6月からオリジナルCDのレコーディングが始まる。
スタジオは甘木の「フチガミレコーディングスタジオ」田川から車で1時間ほど。
12月25日 自費出版CD「Confident 11」(Volts Record)発売。

《1990年》

インディーズとしては異例の5000枚を完売。 CD全11曲中9曲がCMソングとして採用されるなど、福岡では注目のバンドになる。
福岡を中心にイベントのゲストとして、またTV、RADIOにも積極的に出演する。
8月26日関東で行われた「2th Japan Beatles Contest(ビートルズ・シネクラブ主催)」では、審査員特別賞とポールマッカートニー賞を受賞。
12月21日 KING RECORDよりデビューシングル「Now my Love」でメジャーデビュー。

《1992年》

6月24日 セカンドアルバム「SECOND FLIGHT」(KIING Record)発売。
10月8日 NewYorkカーネギーホール公演を成功させる。
この事は地元紙「ニューヨークタイムス」誌にも取り上げられ、彼らの実力が世界的に認められた記念すべき日となる。
この公演はドキュメンタリーとしてNHKで全国放送され、そのことがきっかけで全国各地からオファーが殺到する。この頃「徹子の部屋」などTV出演も多数。

《1993年》

6月30日 ニューヨーク公演のライブアルバム「The Flying Elephants in NewYork」東芝EMIが発売される。
この年の後半から約半年かけての九州ツアー(全7ヶ所)開始。

《1994年》

9月21日 サードアルバム「BRICK ROAD」が東芝EMIより発売。
このアルバムはいろんな場所で録音が行われた。NHK福岡のR2スタジオ、東京の東芝EMIスタジオ、そしてBEATLESが録音に使っていた、イギリスの「アビーロードスタジオ」というように世界狭しと飛び回ったメンバーである。
イギリス録音ではエンジニアには「PastMater」シリーズのエンジニアを起用するという念の入れよう。

《1997年》

9月21日 4枚目のアルバム「Tomorrow」を自主制作(AbeMusic)で発売。

以後も各自の仕事を続けながら、精力的にライブ、イベント出演、講演会と活発に動き回っている。

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